Vol.07 ジェーン・オダ/H・ミウラ3代目オーナー
代々受け継がれてきたものだから売るなんてもってのほか!
私も自分の子供たちに受け継いで行くつもりよ
閉店が相次ぐノースショアの老舗ショップ。ハレイワの一時代を築いた、日系オーナーさん達のお店が少しづつ消えていくのを悲しむ声をよく耳にします。2005年12月、惜しまれながらも閉店となった“H Miura Store & Tailor Shop”は、アロハシャツを世に広めた日系ショップの一つ。今回はいつもとちょっと趣を変えて、ミウラストアの3代目オーナージェーン・オダさん(日本名:ちよこさん※以下 ジェーン)にお話を伺いながら、ミウラストアの歴史を回想してみましょう。

名残惜しんでいる私にちよこさんがくれた1987年に撮影した外観写真。
あの伝説のサーファーエディ・アイカウも、ミウラストアのサーフショーツを愛用した一人。波にのまれたサーファーを救助しに海に入ったまま帰らぬ人となったあの日も、彼はミウラストアのサーフショーツを身に着けていました。 こんなエピソードからも伺えるように、それぞれの体に心地よくフィットするサーフショーツやシャツを仕立てる腕の良さ、品質の良さがこちらのお店の最大の魅力でした。仕立て屋を始めてからの長い年月、寸法をはかったお客さんの数は相当なもの。


布を一枚足りとも無駄にしないように端切れをモップとして使う。おばあちゃんの知恵。
AD-N2号:
もう、たくさんの方から言われていると思いますが、本当に閉業してしまったんですね。残念です。ジェーン:
そうね、でもしょうがないわ。私ももう疲れちゃったし。
AD-N2号:
私は個人的にここのシェイブアイスが一番好きだったんです。小豆の煮たのとバニラアイスそして氷にはリリコイ味。この3つが混ざるとあまずっぱくですっごい好きだったのでホントに残念なんです。
お話の最中に、あっこれあげるとちよこさんが手にした“メンコ”。昔これで遊んだんですかとの問いに、「遊びはしなかったけど、これを集めるのが流行ってね。みんなでいろんなお店の名前が入ったこれを集めたのよ」。どの“メンコ”にもホチキスの芯がささっているのをなぜかとたずねてみるとこれはメンコとして作られてたのではなくて、牛乳のビンのふたなんだそう。

(写真上)このミシン。キャサリンさんが14歳の時から使い続けているミシン。
(写真右)お姉さんのキャサリンさん。日本にはまだ一度も行ったことのないという、キャサリンさん。「ラズベガスばっかりに行っててね、50回以上は行ったわ。そんなことしているうちに日本に行く機会を失っちゃったのよ」ジェーン:
シロップは息子のスティーブンがすべて作っていたのよ。私も2日に一回は小豆を煮てね。シェイブアイスは彼の担当だったの。約15年前に出したのよ。
AD-N2号:
ジェーンさんは日系3世ですよね。日本には行ったことあるんですか?
ジェーン:
日本には何回も行ったわ。北海道、本州、そしておじいさん(フサキチさん)の出身地の山口にも足を運んだわ。どんなところか見てみたかったの。とっても素敵な場所だった。
AD-N2号:
おじいさんといえば、ものすごく年期の入った昔ながらもものが残っていますよね。これはすべておじいさんの代から?ジェーン:
そうよ。おじいさんが使っていたものを捨てるわけにいかないし、代々受け継がれてきたものだから売るなんてもってのほか!私もこれらを自分の子供たちに受けついで行くつもりよ。
AD-N2号:
お店はどうなってしまうんですか?ジェーン:
まだわからないわ。貸しに出す予定なんだけど、どんなお店が入るかは全くの未定よ。
AD-N2号:
外観も変わってしまうんでしょうか?ジェーン:
大丈夫。外観は変えられないように政府から指定が入っているから変わらないわ。なんてったって歴史指定になっているからね。看板はどうなるかわからないけど。お店も家族内の誰かが受け継いでくれればいいけど、こればっかりは本当にわからないわ。どうなることやら。
店内の商品はほとんどなくなっていましたが、営業当時の面影がたくさん残る店内では、ジェーンさんと彼女の姉で常にお店にいたキャサリンさんが、忙しいそうに電話をかけたり、商品に値段をつけたり。そんな、お忙しい所におじゃましてお話を伺いました。話を伺っている間も、忙しそうに動き回るお二人。とても70代とは思えない快活ぶり。
ジェーンさん、キャサリンさんには日本名があり、ジェーンさんが“ちよこさん”、キャサリンさんが“はつこさん”。
『お互いをちっちゃん、はっちゃんと呼ぶのよ。』と教えてくれた時の、かわいらしい笑顔が印象的でした。
H・MIURAの歴史
創業者のフサキチさんが日本からハワイに渡ってきたのは1895年。カウアイ島から始まり、オアフ島のワイパフ、アイエアなどハワイ各地のサトウキビ農園を転々とし、最後に落ち着いたのがワイアルア。1901年、ピクチャーブライド(当時、日本移民は別人種との結婚を禁止されていたため、写真だけのお見合いで日本から花嫁を迎えていました。)としてお嫁に来た奥さんと結婚。
ハワイに来てすぐに英語に加えハワイ語までマスターしてしまった彼は、ハワイ語の通訳としてハレイワのコートハウスで働くようになります。フサキチさんの多彩な才能は語学だけにとどまらず、奥さんから裁縫を学び、作業服を作って同じプランテーション労働者に売りはじめました。正にこれがテイラーミウラの起源。
そして1912年、初のお店を現在のノースショアマーケットプレイスがある場所にオープン。1918年にお店が火事で焼けてしまったため現在の場所に移転。その後は、裁縫の学校を開き、優秀な生徒をお店のお針子として雇うことで、商品の品質を保ったのだそう。
3代目オーナーのジェーンさんがお店を継いだ頃、ノースショアにサーファー達が集まりはじめました。アロハシャツを作っていたジェーンさん達が、サーフショーツを作りはじめたのは自然の流れだったようです。
インタビュー後記:
古いからこそ、価値がある。そんな大事なお店がまた一つ消えてしまいました。時代の流れとともにいろんなものが変わっていく。
しょうがないことだけど、やっぱり悲しい。今後ここにどんなお店が入るかは全く未定とのこと。ちよこさんは“出来れば家族内の誰かがここを継いでくれればいいけど、そればっかりはどうなるか本当にわからないわ”と。もしかしたら・・・・との若干の望みがあるようですが、それも本当に未定とのこと。またいつか復活してくれることを願います。 このお店の歴史が知りたくて訪ね、ジェーンさん、キャサリンさんに大切なお時間を頂きました。その途中、お店の奥でキャサリンさんがカタカタとミシンで縫いものを始めました。このミシン彼女が14歳のときから使い続けているミシンなのだそう。このお店の雰囲気の中で聞くリズミカルなミシンの音は、とても耳に心地よい。 忙しいせいか、ちょっとぶっきら棒なジェーンさん。彼女が小さかった頃の雰囲気が知りたくて聞いた“昔のハレイワについて教えて下さい。”の私の質問に怪訝な顔をしながら、“昔は今より店舗は少ないし、人も少なかったわよ。”それがどうしたのよ?って顔で答える彼女に、始めはちょっとびっくり。 でも、お話をしていくうちに彼女の優しさや暖かさが段々と見えてきて初めの印象は吹っ飛びました。 現代を生き、行く先を見ているジェーンさんには、昔を振り返り懐かしむだけではなく、これから先のこと、どのように受け継いだ物を伝えていくかが大事なんでしょうね。
