- ノースショアのサーファー
- 2010年04月05日
サーフィンの歴史
みなさま、楽しんでいただけていますでしょうか?
デューク・カハナモク、ビーチボーイズ、
戦争武器開発、戦争反対の人々の心、コンテストシーン、
さまざまなものが折り重なって
現在、我々が楽しめるサーフィンに進化してきたという事が
おわかりになっていただけたと思います。
今回からは新しい章。
ノースショアでのサーフィンを可能にしくれた
レジェンドたちの話に入っていきます。
ほんの70年代までは、
ノースショアでのサーフィンなんて考えられない行為だったのを
今はほぼ、万人が楽しめるほどになっているのは、
なぜかしら?
と考えてみますと。。。
ただしい情報が入る様になり、
道具も進化したのも大きいことですが、
レジェンドたちの勇姿。
やはり彼らレジェンドたちの勇姿が、多くの人に勇気を与え、
ノースショアに足を踏み入れよう!
と思わせた事が大きな原因であると思います。
全員を紹介する事は難しい事かと思いますが、
リマーカブルな我々に勇気を与えてくれる様な
ノースショアのレジェンドサーファーを
順番に紹介していこうと思います。
そのまず一回目はケン・ブラッドショー
1998年1月28日に記録的な大波の乗った人であります。
(こちらでその動画を観ることができます!http:// www.kenbradshaw.com/)
大波に乗った人というと、
ここには紹介できないほどの数になってしまいますが、
なぜこのケン・ブラッドショーを挙げたかと申しますと、
なんと彼はアメリカのテキサス州出身。
ノースショアで生まれ育ったわけではない上に、
(波のない)メキシコ湾で、波乗りをしていた人。
ようするに湘南、相模湾で波のりを始めた人と
始めの一歩の条件は似ていますよね!!!
ほら、なんだか、あなたにも出来る様な気がしてきたでしょう(微笑)
その彼。
しかも高校生の頃まではアメフトのスター選手として活躍していたので
サーフィンの世界とは全くかけ離れていました。
しかも、
彼のお父さんはテキサスのオイルビジネスの副社長、
そして政治家でスプリング ブランチという街のメイヤー。
さらに警察署長。
2度程、拳銃で打たれた事のあるお父さんと言いますから、
まあ、普通とは言いがたいお父さんですよね。
そんなお父さんが居る家庭です。
彼がメキシコ湾でのサーフィンがとても楽しくなってしまい、
アメフトを辞めた時には、
すでに勘当を言い渡されたと言うことです。(苦笑)
勘当をされた後にサーフィンのメッカ、カリフォルニアに移住。
仕事をしながら小さいアパートの一室で観た
1972年のワールドカップのビデオに映っていた
ノースショアの映像が忘れられずに、ハワイ入り。
自活出来る様に整えてから(タウンで仕事を見つけてから)
ノースショア入りをしたという事です。
その後、ノースショアのローカルたちにとっては初顔だったケン。
ある日、ワイメアでビックウエイブが割れている時に、
エディー・アイカウから
「へい、、若造。この波はお前には、ちと大きすぎるぞ。危険だからヤメとけ。」
というアドバイスもはねのけ、
アウトのラインナップに加わり、彼のガッツを見せつけた、といいう事です。
その太い神経の元で、徐々にチャージ経験を積み、
記録に残る大波乗りのキャリアを作ったケンですが、
彼に言わせると、親父が歩んできた道よりは俺の世界は甘い世界だよ、と。。。
なるほど、相模湾サーファーでもノースショアビックウエイバーになる事は夢じゃないけど、
胸骨な太い精神があってこそ、、、という事なんですね。
レジェンドに学ぶ、、次回をお楽しみに。
アローハ!
【掲載写真に関するお問合せ先】alohaemiko@hawaii.rr.com
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